遺書から(その1)

その一部を紹介しまし傍らのよう。1945年5月29日、横浜地域の大空襲、当時

学徒動員で横浜ドックに隣接していた軍需工場へも、敵機p51型戦闘機の襲来で數種の

爆弾を投下傍らの船渠に日本の空母を目掛けて爆弾を投下しようとしてるのだが命中せず波頭に外れ、数分後、きれいな虹が反映、その光景に挺身隊の女性たち迄驚嘆して防空

豪から掃いたしで、七色の虹に戦争苦の終結を祈願してるように見受けられました。

どん底から這い上がろう!!

  1. 戦時の軍事教育を受けてきた為か正義派で頑固一徹となり虐げられた反動が私の心をアナキストに仕立てあげられてしまったのす。ただ、他人様から信頼されるような人生観で、苦境で四苦八苦波乱万丈ながら、一重に私の座有銘【人助けを忘れる事勿れ】との固い信念で高齢ながらも存命している次第です。